李承晩ライン(りしょうばん らいん)
1952年1月18日に大韓民国(韓国)のイ・スンマン(李承晩)大統領が発した宣言に基づいて、朝鮮半島周辺の広大な水域に違法に設定した境界線。韓国政府はこの線内において、大陸棚の天然資源の保護、利用のために一方的に主権を留保し、また水産・漁業資源の乱獲を防ぐために監督権を行使する意図を表明した。
李承晩ラインの設定によって西日本の漁業は大きな打撃を受け、日韓間に竹島の領有権をめぐる紛争を招来した。
韓国は、この一方的に定めたラインを越えて操業する他国漁船を取り締まり、次々に拿捕。銃撃による死者も出た。300隻以上の日本の船を拿捕し、約4000人を抑留、8人が死亡した。(政府の答弁では、233隻・2791人)
1965年に締結された日韓漁業協定などにより、李承晩ラインは実質的に消滅し、漁業紛争は決着したが、竹島問題は解決していない。
李承晩ラインに対し日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議したが、当時はサンフランシスコ平和条約発効3か月前で、日本の主権は回復しておらず、また日本の海上自衛隊や、その前身である海上警備隊・警備隊も存在していなかった。(1952年4月に海上警備隊(海上保安庁)が発足)(Wikipedia)
また、当時、日韓に国交はない。国交樹立は、昭和40年(1965)の「日韓基本条約」。