何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
(なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるる)
西行法師が伊勢神宮に参拝した際に詠んだとされる歌。
どのような存在がいらっしゃるかは、分かりませんが、もったいなさ(ありがたさ)に涙がこぼれます。
内宮にまうでて
おはします かたじけなさを 何事も しりてはいとど 涙こぼるる(橘曙覧)
仏は常にいませども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ
『梁塵秘抄』法文歌。
仏は常にいらっしゃるけれど、俗世に住む我々には現実にそのお姿を見ることができないことが、しみじみと尊いことだ。人の寝静まった物音のしない夜明けごろに、かすかに夢の中にそのお姿をお現しになることだ。
(weblio 学研全訳古語辞典)