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メーデー事件

メーデー事件(めーでーじけん)

「血のメーデー事件」ともいわれる。吹田(すいた)事件、大須(おおす)事件と並ぶ第2次世界大戦後の三大騒乱事件の一つ。

対日講和条約が発効して最初のメーデーが行われた 1952年5月1日午後,明治神宮外苑で開かれた東京の中央会場からの中部コースデモ隊は日比谷公園で解散せず,学生,朝鮮人,自由労務者約 6000人は「人民広場へ行こう」と叫んで皇居前の警戒線を突破,5000人の警官隊と衝突した。この衝突で警察官の重傷 68人,軽傷 672人,デモ隊側の負傷者は 200人,死者2人,奪われたピストル3丁,焼失した米軍車両 14台,損壊した車両 101台に達した。この事件には騒擾罪が適用され 1219人が逮捕,うち 261人が起訴された。第1審の東京地方裁判所は同罪を認定して 118人に有罪,第2審は 72年 11月 21日,第1審判決を「共同意思を欠き,暴行脅迫の程度も一地方の静謐を欠くにいたらなかった」として破棄し,公務執行妨害罪で 16人を有罪とするにとどまったが,検察側は上告せず,刑は確定した。この事件の裁判は大量の被告人と長期裁判で注目を集め,また警察の警備活動におけるピストル使用の可否も問題とされた。また地下に潜行中の共産党書記長徳田球一は,事件を最も英雄的な行為と評価するなど講和直後の社会の注目を集めたが,この事件以後破壊活動防止法をはじめとする一連の治安立法が制定されることになった。

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