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静御前

生没年不詳。源義経の妾。磯禅師(いそのぜんじ)の娘で、もと京都の白拍子であった。義経が京都堀川第で兄頼朝の刺客土佐房昌俊(とさのぼうしょうしゅん)に襲われたとき、機転によって義経を助けた。以後、義経に従い大物浦(だいもつうら)(兵庫県尼崎市大物浦)から吉野山に逃れたが、山僧に捕えられて鎌倉に護送された。鎌倉では義経の所在に関して厳しい訊問を受けたが、静は固く沈黙を守ったという。
頼朝の妻北条政子は、静が舞の名手であると聞き、鶴岡-八幡(つるがおかはちまん)の神前でこれを舞わせた。工藤祐経(くどうすけつね)が鼓を打ち、畠山重忠(はたけやましげただ)が銅拍子を勤めた。静はこのとき、「吉野山峰の白雪ふみ分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」「しづやしづ賤の苧環くりかへし昔を今になすよしもがな」と、義経への慕情を歌ったため、頼朝の不興を買ったが、政子のとりなしによって事なきを得た。やがて静は一児を生んだが、頼朝はこれを鎌倉由比ヶ浜に捨てさせた。静を主題とした謡曲に『吉野静』『二人静』があり、浄瑠璃に『義経千本桜』がある。
<鈴木国弘>

出典:レファレンス協同データベース


しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)
自分の名前「静」を「倭文(しず)」とかけつつ、頼朝の世である「今」を義経が運栄えていた「昔」に変えることができればなあ、と歌っている。
「古(いにしえ)の しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」(『伊勢物語』32段)を本歌とする。
(昔の織物の糸をつむいで巻き取った糸玉から糸を繰り出すように過去を今にしたいものだ)
ある男が昔、親しく語りあった女に、詠んだ歌。

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき

(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)
「み吉野の 山の白雪 踏み分けて 入りにし人の おとづれもせぬ」(『古今和歌集』の冬歌、壬生忠岑)を本歌とする。
(吉野山に降り積もった雪を踏み分けて入っていったあの人からの便りは(いまも)ありません)

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