八紘一宇(はっこういちう)
『日本書紀』の「兼六合以開都、掩八紘而為宇」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) から、田中智学がつくった語。
1940年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり、「皇国の国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ、以後、東亜新秩序の思想的根拠として広く唱えられた。
八紘為宇(はっこういう)
上記と同じく『日本書記』の言葉からの造語。原文には「一」の字はないから「一宇」ではなく、「為宇」が正しいという意見があるが、そうとは言えない。この四字熟語も恣意的な造語である。原文は、「八紘を掩ふて宇と為す」であり、「八紘を宇と為す」ではない。
「一宇」の方が原文の意味をよく表しているという指摘があるが、説得力がある。(日本国体学会 )