本地垂迹(ほんじすいじゃく)
神の本地は仏であり、仏が日本人を救うために神となって垂迹したという神仏習合思想の理論。平安時代に起こり、鎌倉時代以後盛んになった。このため、神号にも権現(ごんげん)、大菩薩(ぼさつ)などが付された。熊野は阿弥陀仏の、賀茂は観音菩薩の、八幡は釈迦のそれぞれ垂迹とされた。しかし明治政府の神仏分離令によってこの理論は衰退した。本地垂迹説。
本地(ほんじ)
1 仏・菩薩(ぼさつ)が人々を救うために神の姿となって現れた垂迹(すいじゃく)身に対して、その本来の仏・菩薩。本地仏。
2 本来の姿。本体。
3 本性。本心。
垂迹(すいじゃく)
(古くは「すいしゃく」)仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること。